大隅簡易裁判所 昭和40年(ろ)14号 判決 1966年9月26日
被告人 佐々木高信 熊谷計慎
主文
被告人両名は、いずれも無罪。
理由
本件公訴事実は、「被告人らは共謀のうえ、被告人佐々木高信所有にかかる曽唹郡大隅町岩川字下諏訪五〇九四番一田一反二九歩につき、被告人ら両者間に昭和三七年一〇月一〇日金一五〇万円の消費貸借に対し抵当権設定契約を締結したもののように装い、その旨登記せんことを企て、同四〇年二月三日鹿児島地方法務局大隅出張所において、同所係員に対し、右金銭消費貸借抵当権設定契約にもとづいて土地抵当権設定登記をする旨内容虚偽の申請書を提出して、同人をしてその旨誤信せしめたうえ、同所備え付けの土地登記簿の原本に不実の記載をなさしめ、即日同所に備え付けさせて行使したものである。」というのである。
なる程、被告人らの当公判廷における各供述並びに検察官に対する各供述調書および登記官松尾一夫作成の土地登記簿謄本、司法警察員作成の証拠資料としての写真撮影報告と題する書面(添付写真一〇葉参照)、被告人熊谷計慎作成の金銭消費貸借抵当権設定契約書謄本を綜合すると、被告人佐々木高信の妻佐々木トミ子は被告人熊谷計慎の実妹で、被告人らはいわゆる義兄弟の間柄に当るものであるところ、佐々木トミ子は昭和二六年ごろから肺結核に罹り昭和二九年ごろ漸く病も癒えたが、その間被告人佐々木高信は右トミ子の療養費等の資に充てるため、被告人熊谷計慎より遂次借り受けた金銭がそのころまでに合計金三〇万円に及んでいたところ、昭和三七年一〇月一〇日被告人佐々木高信は被告人熊谷計慎よりさらに家屋新築の不足資金二五万円を借用するに当り、右従前の貸金三〇万円とこれに対する利息を九年間月三分の割合として計算した金額を新規貸し付けの金二五万円と合算しその端数は切捨てて金一五〇万円に改め、利息年一割、弁済期昭和三九年一〇月一〇日とする準消費貸借を締結した事実、また少なくとも右昭和三七年一〇月一〇日当時、右金一五〇万円を担保するため、被告人佐々木高信所有にかかる曽唹郡大隅町岩川字下諏訪五〇九四番一田一反二九歩(以下本件土地と略称する)について、被告人ら間には抵当権設定契約が締結された事実はなく、それにも拘らず、昭和四〇年二月三日鹿児島地方法務局大隅出張所において、本件土地を目的物として、被告人熊谷計慎は被告人佐々木高信を代理人として、被告人佐々木高言は右相被告人の代理人兼登記義務者本人として、同出張所係員に対し、被告人ら間の昭和三七年一〇月一〇日の金一五〇万円の消費貸借に対する同日締結の抵当権設定契約にもとづく旨の登記を申請し、右係員をして土地登記簿の原本にその旨の記載をさせ、即時右登記を了した事実をそれぞれ認定することができる。
しかし却つて、前掲各証拠就中、被告人らの当公判廷における各供述並びに被告人熊谷計慎作成の金銭消費貸借抵当権設定契約書謄本によれば、前認定の貸金債権を担保するため、本件土地について昭和四〇年二月三日被告人ら間に抵当権者を被告人熊谷計慎、抵当権設定者を被告人佐々木高信とする抵当権設定契約が締結された事実を認定することができる。尤も、証人岩重治助、同市倉達也の当公判廷における「被告人ら間には金銭貸借関係はなく、まして抵当権設定契約は通謀による虚偽の契約である。」旨の各供述部分は、いずれも同証人らの臆測の域を出てない証言で被告人らの当公判廷における各供述と対比して到底信用することはできないものである。以上の事実に徴すれば、抵当権設定契約成立の日付と登記原因の日付とが齟齬するを除けば、被告人らにおいて右公訴事実にいうような内容虚偽の登記申請をなした事実は本件全証拠によるもなんらこれを確認することはできないものというべきである。
ところで、刑法第一五七条第一項にいう「不実の記載をなさしめた」というは、当事者間になんら抵当権設定契約を締結した事実もないのに、契約締結の事実があるものとしてその登記を申請し、登記官をして不動産物権の設定、移転その他の変動を公示する不動産登記簿の原本にその虚偽の事項を記載せしめた場合はもとより、当事者間に抵当権設定契約は締結せられたものの、その契約内容の重要な点に関して虚偽の申立をなし、申請どおりの記載をなさしめた場合においても、なお公正証書の原本に記載すべき事項に関し、その重要な点について真実に反する記載をなさしめたものに該当するものと解されるのである。換言すれば、登記事項の不実とは、当該特定の契約当事者間の既存の権利関係に消長をきたすばかりでなく、当該不動産につき現に取引関係に立つている利害関係人の権利関係にも影響を及ぼし、ひいては社会一般の不動産登記簿に対する公の信用力を害すると認められる重要な点について内容虚偽の登記事項が存在することをいうのであつて、偶々登記事項中、些細な点において真実に反する点があつたとしても、重要な点については物権契約内容と悉く一致し、なおかつ齟齬する事項を捉えても、当該特定の契約当事者間についてはもとより、他の利害関係人その他の者の権利関係にもなんらの影響をも及ぼすものとは認められない軽微の瑕疵は、到底これを不実の記載であると解すべきではないと解する。これを本件について考えてみるに、前認定の事実によると、昭和三七年一〇月一〇日被告人ら間に成立した金一五〇万円の貸金債権を担保するため、昭和四〇年二月三日同人ら間に本件土地を目的物とする抵当権設定契約が締結され、同日有効な抵当権が存在するに至つたものであり、さらにこれを第三者に対抗するため、その旨の登記申請をなしたものであるから、その権利の存在内容と登記簿上の記載とは重要な点ではなんらの不一致も認められず偶々抵当権設定契約日が被担保債権成立の日と同日とする登記記載がなされているにせよ、この点の瑕疵は有効に存在している被告人ら当事者間の抵当権設定契約関係にはなんらの影響を及ぼすものでないことは多言を要しないことではあるし、また右の日付の齟齬ないしは遡及が当該不動産の利害関係人の権利関係になんらかの影響を及ぼすものであろうかを検討しても、利害関係人ら間の権利関係の優劣はすべて登記順位により、契約成立日の先後によつて優先的効力が左右されるものでないことも亦明らかであるから、この関係においても日付の齟齬は利害関係人の権利関係になんらかの影響を及ぼす重要な登記事項とは解されないのである。もとより、登記原因日付が真実の契約締結日と一致することが物権変動を正確に公示して取引の安全に奉仕せんとする登記制度の理想とするところに合致して望ましいことではあるが、さりとて登記を単なる対抗要件と解する制度の下では、真実物権変動の事実が存在し、かつ他の利害関係人の権利関係になんらの影響をも及ぼすものではないと解せられる登記原因日付の点の齟齬は、日付、遡及が権利の成否等に重要な影響を及ぼす特別の事情が認められる案件においては格別通常の場合は到底これを目して不実の記載であると解することはできないものと考える。
以上の理由によつて、他に右認定を覆すに足りる証拠もないので、被告人らの本件各所為を公正証書原本不実記載、同行使罪とする公訴事実は、爾余の判断をするまでもなくいずれもその犯罪の証明がないことに帰すべく、刑事訴訟法第三三六条後段により主文のとおり判決する。
(裁判官 落合秀爾)